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映画 「普通に死ぬ」~いのちの自立~より

 重い障がいのある人たちを通じて『普通』とは何かを問いかけるドキュメンタリー映画「普通に死ぬ」を観てきました。終了後に貞末麻哉子監督の舞台挨拶がありました。コロナ禍で「死ぬ」というタイトルは如何なものかという声が多くあったそうです。しかし、あえて『死』を正面から描いてこそ『生』の意味と向き合えるとの決意を込められたとのこと。貞末さんは、障がい児の親がわが子の将来を案じ「この子よりも1日でも長く生きたい」と口にするのを何度も耳にしたそうです。普通とは何か? 親を追い詰めてしまう社会ではなく「その逆」を当たり前にしていきたいと願っていました。
 映画は、2011年の「普通に生きる」の続編で制作期間は8年。その間に相次いで起きた二人の母親の死。医療的ケアの必要な利用者の中心的な介護者を失い、在宅生活が困難な状況となってしまうことから、施設入所をめぐる家族側と施設側の厳しいやり取りが本人を前にして繰り広げられます。家族・兄弟・支援者それぞれの視点から思いがぶつかり、理念と現実のギャップが表面化していきました。この場面は他人事ではなく、愛実の会にも直結する問題であり心が動きます。医療的ケア+24時間365日の支援が必要となり、人材の確保からリスクや周りへの協力理解を考えると思いだけでは簡単なことではありません。普通なら安全なケアが受けられる、入所施設への選択が当然とも思われます。しかし普通とは何でしょうか? 映画では、混沌とした状況から新たな展開へと広がっていきます。 それはどんなに重い障がいがあっても、親亡き後、医療的ケアを受けながらも、生き生きと自立して地域で生活している人たちとの出会いでした。
 生きて、生きて、生きて、普通に死ぬ。支援を続けている人たちは、心のふるえる体験を通して、正に「普通に生きる」ことの意味を何より大切にしていたのです。そしてこの出会いが希望の光となり、新たな支援体制で地域生活が始まっていきます。勿論、多くの課題があるわけですが、亡き母親の思いに、本人の心の叫び、死から生に向き合い大きな山が動いたと言えます。
 是非、この映画を多くの方々に観ていただき、少しでもふるえる体験に共感できればと思う次第です。現在はコロナ禍で、社会全体が普通でない、異常な状態にあります。誰もが不便を感じています。人は心に余裕がなくなると、自分以外の人々よりも自分のニーズを大切にし、他者を排除する方向性が強くなります。
「普通」 を考えることは人と人の間の共感を生むのかもしれません。ソーシャルディスタンスで物理的な距離はとっても、心の距離を縮め、互いの思いやりを大切にしていきたいと心より願います。

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